2007年08月08日
遥 ~はるか~
今日 息子が帰ってくる
中体連県大会準優勝で九州へ遠征に行った中3の息子
たったの4泊なのに
日ごろは寡黙で
おこづかいせびるときだけ
頭上20センチ上から 私を見下ろしながら
すりすりしてくる彼なのに
ゆうべ主人がぽろっと言った
「一人でもかけると なんか 寂しいなぁ」
その脇で 娘やちびすけがわーわーしていても だ
なんだか 寂しい
彼は主将という立場にある が
ここ最近スランプでバットが思うように振れない
中体連の時も 結局 あたらなかった
4番バッターをした頃もあった
「球が止まってみえる」と言ってたこともあった
そんな 彼は スランプに陥り
気持ちも沈み 顔もうかない…
どうにか助けたくて
さり気なくいろんな話をしてみたり
主人は バッティングセンターに連れてったり
わかっているんだけど
結局 最後は自分なんだって
順調にいかない時こそ
壁にぶつかった時こそ
学ぶことも多いような気がする
這い上がってくることを信じて 見守ろう
1992年12月24日 クリスマス・イブの朝に生まれた息子
遥 はるか
遥かなる可能性を秘めた子 自分らしい人生を歩みますように
そんな思いを託して命名した
妊娠当初からの逆子で
逆子を治す体操も必死こいてやったけど 結局治らず
ある日友達から仕入れた情報で
「旋回術とかいって お腹の上からドクターが手で ”えいっ”と逆子を廻して
なおすんだってよ~」
私は飛びついた
なんだか <初めてのお産>とかそんな本を読んでいて
すごく 自然分娩でなきゃ と凝り固まっていた私
ポーカーフェイスの先生に
「あの~ぅ 旋回術っていうのを聞いたんですけど~」
先生に やってほしくて しどろもどろになりながら
そしたら
「命をかけてもですか?
万が一 へその緒が首に巻きついたら 赤ちゃんに危険ということを
承知でやるんですか? 万が一になることも十分予想されますよ。
それでも 産み方(自然分娩)にこだわるですか」
「あなたの赤ちゃんは この姿勢が楽なんですよ」
何も言えず 家路に着いた
そうだよなぁ
”産道を通るのが最初のコミュニケーション”とかって 誰が決めたの?
本じゃなくて
お腹の子と対話しなきゃ
帝王切開の覚悟を決めたら
生む(オペ)日を決められる
私は12月19日に生もうと決意 前日18日に入院し
オペに備えての準備に入った
翌朝 早い時間から診察・点滴が施され
オペ室に入る
尿管を通され
看護婦数名に羽交い絞めにされ 脊髄麻酔を3本打たれた
下半身に麻酔がきき いよいよオペ
先生のメスが私のお腹に
と
その時
「ちょっと待って」 先生が言った
えっ? 何を待つの?
「心音装置 (赤ちゃんの胎動を聞くマシーン) 持ってきて」 看護婦に指示する先生
と
しばらくして
「オペ中止」
「逆子が治ってます。 自然分娩ができる」
え~ぇっ
びっくり! 驚きやら嬉しいやら
涙がこぼれた
オペ室の扉の向こう
開け放たれたドアの奥から現れた先生
主人 義母 義父 そして母
皆が歩みよる
先生は
「オペ中止です。逆子が治りましたので自然分娩ができます
長いこと医者やってますが こんなケースは初めてです」
と 言ったらしい。
もうじき会えると思っていたみんなは
嬉しいんだか 気抜けしたんたが
ライトが落とされた静まり返ったオペ室で
麻酔が切れるのを待っている私の傍らに
主人が 「よかったなぁ」 の一言
しばらくして 私の母
「よかった よかった 傷つけずに生めるね~
ほんと よかった」 と涙を流していた
母の愛を感じた瞬間だった
何事もなかったかのように そそくさとその日のうちに退院
何事も?
いいやっ 何事もあったよなぁぁ
脊髄麻酔も3本打たれちゃったし
尿管通され どっちも めちゃくちゃ痛かったし
看護婦 手荒かったよなぁ
蘇る 蘇る ・・・
まっ そんなこと どうでもいいかっ
そして 12月24日 クリスマス・イヴの寒い朝
誕生 ちょ~安産
「親孝行な子供だね~」 と看護婦さんが笑っていたっけ
遥 はるか
遥かなる可能性を秘めた子 自分らしい人生を歩みますように
そんな思いを託して命名した
そして 私も
私自身の中に 遥かなる可能性を感じた時でもあった
お母さんにしてくれて ありがとう
息子が 5日間いない間
なんだか 思い出しちゃったなぁ
いっつも 反抗してくる彼に叱ってばかりだったけど
忘れちゃいけない
お母さんにしてくれて ありがとう
もうすぐ息子が帰ってくる
今晩は 一段と腕をふるって食事を作ろう!
中体連県大会準優勝で九州へ遠征に行った中3の息子
たったの4泊なのに
日ごろは寡黙で
おこづかいせびるときだけ
頭上20センチ上から 私を見下ろしながら
すりすりしてくる彼なのに
ゆうべ主人がぽろっと言った
「一人でもかけると なんか 寂しいなぁ」
その脇で 娘やちびすけがわーわーしていても だ
なんだか 寂しい
彼は主将という立場にある が
ここ最近スランプでバットが思うように振れない
中体連の時も 結局 あたらなかった
4番バッターをした頃もあった
「球が止まってみえる」と言ってたこともあった
そんな 彼は スランプに陥り
気持ちも沈み 顔もうかない…
どうにか助けたくて
さり気なくいろんな話をしてみたり
主人は バッティングセンターに連れてったり
わかっているんだけど
結局 最後は自分なんだって
順調にいかない時こそ
壁にぶつかった時こそ
学ぶことも多いような気がする
這い上がってくることを信じて 見守ろう
1992年12月24日 クリスマス・イブの朝に生まれた息子
遥 はるか
遥かなる可能性を秘めた子 自分らしい人生を歩みますように
そんな思いを託して命名した
妊娠当初からの逆子で
逆子を治す体操も必死こいてやったけど 結局治らず
ある日友達から仕入れた情報で
「旋回術とかいって お腹の上からドクターが手で ”えいっ”と逆子を廻して
なおすんだってよ~」
私は飛びついた
なんだか <初めてのお産>とかそんな本を読んでいて
すごく 自然分娩でなきゃ と凝り固まっていた私
ポーカーフェイスの先生に
「あの~ぅ 旋回術っていうのを聞いたんですけど~」
先生に やってほしくて しどろもどろになりながら
そしたら
「命をかけてもですか?
万が一 へその緒が首に巻きついたら 赤ちゃんに危険ということを
承知でやるんですか? 万が一になることも十分予想されますよ。
それでも 産み方(自然分娩)にこだわるですか」
「あなたの赤ちゃんは この姿勢が楽なんですよ」
何も言えず 家路に着いた
そうだよなぁ
”産道を通るのが最初のコミュニケーション”とかって 誰が決めたの?
本じゃなくて
お腹の子と対話しなきゃ
帝王切開の覚悟を決めたら
生む(オペ)日を決められる
私は12月19日に生もうと決意 前日18日に入院し
オペに備えての準備に入った
翌朝 早い時間から診察・点滴が施され
オペ室に入る
尿管を通され
看護婦数名に羽交い絞めにされ 脊髄麻酔を3本打たれた
下半身に麻酔がきき いよいよオペ
先生のメスが私のお腹に
と
その時
「ちょっと待って」 先生が言った
えっ? 何を待つの?
「心音装置 (赤ちゃんの胎動を聞くマシーン) 持ってきて」 看護婦に指示する先生
と
しばらくして
「オペ中止」
「逆子が治ってます。 自然分娩ができる」
え~ぇっ
びっくり! 驚きやら嬉しいやら
涙がこぼれた
オペ室の扉の向こう
開け放たれたドアの奥から現れた先生
主人 義母 義父 そして母
皆が歩みよる
先生は
「オペ中止です。逆子が治りましたので自然分娩ができます
長いこと医者やってますが こんなケースは初めてです」
と 言ったらしい。
もうじき会えると思っていたみんなは
嬉しいんだか 気抜けしたんたが
ライトが落とされた静まり返ったオペ室で
麻酔が切れるのを待っている私の傍らに
主人が 「よかったなぁ」 の一言
しばらくして 私の母
「よかった よかった 傷つけずに生めるね~
ほんと よかった」 と涙を流していた
母の愛を感じた瞬間だった
何事もなかったかのように そそくさとその日のうちに退院
何事も?
いいやっ 何事もあったよなぁぁ
脊髄麻酔も3本打たれちゃったし
尿管通され どっちも めちゃくちゃ痛かったし
看護婦 手荒かったよなぁ
蘇る 蘇る ・・・
まっ そんなこと どうでもいいかっ
そして 12月24日 クリスマス・イヴの寒い朝
誕生 ちょ~安産
「親孝行な子供だね~」 と看護婦さんが笑っていたっけ
遥 はるか
遥かなる可能性を秘めた子 自分らしい人生を歩みますように
そんな思いを託して命名した
そして 私も
私自身の中に 遥かなる可能性を感じた時でもあった
お母さんにしてくれて ありがとう
息子が 5日間いない間
なんだか 思い出しちゃったなぁ
いっつも 反抗してくる彼に叱ってばかりだったけど
忘れちゃいけない
お母さんにしてくれて ありがとう
もうすぐ息子が帰ってくる
今晩は 一段と腕をふるって食事を作ろう!
Posted by 宇風想 at 12:39│Comments(0)
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